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大応寺跡 

今回は薩摩川内市祁答院町にある雲長山大応寺跡です。
正興寺末臨済宗。
本尊千手観音坐像。像高九寸(約27cm)。
開山一関和尚。
開基祁答院延重。



DSC_8641.jpg
大応寺跡。
立派な案内板がありますが、ここに至る道標がありません。


DSC_8632_201801301658454d8.jpg
入口のすぐ右の小高い丘に階段が上へと延びています。
草で埋もれていますが、間違いなく階段があります。


DSC_8634_20180130165735b91.jpg
階段の先に石祠が一基。
案内版には「鎮守神社」とあります。

DSC_8637.jpg
内部には木造狛犬。
この他に墓塔の残欠などが安置されています。
案内板にこれらは室町時代の物であろうと書かれていますが根拠は不明。


DSC_8628.jpg
丘の下に仁王像。

DSC_8629_201801301658327fc.jpg
元文四年(1739)造立。
造立年が分かっている物の中では祁答院内最古の仁王像です。

破壊され傷だらけですが、背中に残るわずか二行の造立年が像の価値を高めています。


DSC_8675.jpg
当時はここに伽藍がありました。

DSC_8655.jpg
非常に広大な境内であったのだろうと思います。
墓地整理が行われたらしく、大量の墓石が積み上げられています。


雲長山大応寺
これが当時の大応寺の姿です。

破壊しつくされ、何も残っていないだろうと思っていました。
しかしこの絵図に描かれているある物が残されていました。

DSC_8658.jpg
絵図の左側に描かれている玉垣と思われます。
ただ、玉垣の内側にあった石碑のような物は失われてしまったようです。

DSC_8647_201801301657473ad.jpg
現在は石仏が安置されています。

「前正興当寺中興四十五世桃仙盈和尚禅師」
宝暦八年(1758)寂。

背後にある無縫塔も桃仙盈和尚の墓塔です。


旧境内には他の住持墓が散乱しています。
DSC_8685_20180130170443a95.jpg
「前広済正龍二十二世実門真和尚」
寛政元年(1789)寂。

伊集院の広済寺、山川の正龍寺を経てこの祁答院の地へ赴いた僧です。
現代においてもなかなか過酷な人事異動です。

DSC_8672.jpg
「~十七世当寺四十八世中興広宗運和尚」

DSC_8667_201801301658270dc.jpg
「前住当庵金~」
『当庵』とあるため、大応寺の住持ではないのでしょう。

しかしこの周辺に『庵』の名の付く寺院があったことを確認できません。
大応寺の隅に小さな庵があったのかもしれません。


ここには他にも多くの石造物が存在します。
DSC_8661.jpg
宝篋印塔。

DSC_8660.jpg

DSC_8640.jpg
五輪塔。

DSC_8665_2018013016582263b.jpg
供養仏。
子供の供養のための物と思われます。

DSC_8663.jpg
墓塔残欠。
ホウキが立てかけられてしまっています。

DSC_8688_201801301704331ab.jpg
残念ながら読めません。


多くの石造物の中に状態の良い石仏が二体あります。
DSC_8643.jpg
地蔵菩薩立像。

DSC_8682_20180130170451d34.jpg
損傷もなく非常に美しい。
女性的な佇まいのお地蔵様です。


DSC_8694.jpg
不思議な姿の像です。
像容が独特すぎて見ただけでは何なのかさっぱりわかりません。
しかしこの像の制作者は丁寧にも胸の部分に梵字を刻んでくれていました。
その梵字によるとこの像は「毘沙門天」のようです。

背中にはこの像の詳細が刻まれています。


「請病悉除願
心経八千四百三巻
花月英林自作
普門品経五万七千百十巻
真言九中四万千六百四十及

石ハ(?)蒲生
宝暦四甲戌」


『花月英林』という人物が病気平癒の願いを込めて宝暦四年(1754)に造立した物だそうです。
多くのお経を読みながらこの像を制作したことも分かります。

この人物がその後どうなったかは分かりません。
ただ願いがこもった毘沙門天は、二百五十年たった今でも堂々とした姿で生き続けています。



案内板に「大村郷地頭桂民部忠秀の五輪塔(高さ約2m)があり、『一桂長雲居士』と彫名してある。」とあります。
しかしどこを探してもそのような大きな五輪塔が見当たりません。
探索できる範囲を隅々見ていると、最奥部にこのような物がありました。
DSC_8674_20180130165845ca8.jpg
非常に見づらいですが、大きな五輪塔の一部が見えます。
しかし水輪部分より下が見つかりません。

この辺りは背後の斜面が崩れ、石造物が散乱している状態でした。
五輪塔は崩土によって倒壊、埋没してしまったのかもしれません。



今回もご覧いただきありがとうございました。
以上が大応寺跡です。

今まで訪れた寺院跡の中でも上位の広大さです。
地形もほぼそのまま残っており、往時の姿を容易に想像できました。

現状でも非常に多くの物があります。
なので墓地整理前にはもっと多くの遺物があったのでしょう。
今後は埋もれた墓塔を掘り出していくべきだと思います。
案内板に書いている以上、桂忠秀の五輪塔だけでも修復すべきです。

現役の墓地なので綺麗で雰囲気も明るく、車でも問題なく行くことができます。
この辺りを通った際は足を運んでみてください。



大応寺跡
(Googlemapに追加しておきました)




DSC_8652.jpg




実はinstagramやっています。

category: 寺院跡

thread: 史跡・神社・仏閣

janre: 写真

tag: 薩摩川内市 
Posted on 2018/02/06 Tue. 23:19  edit  |  tb: 0   cm: 0  

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