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天沢寺跡(2) 

引き続き天沢寺跡です。
今回は広大な天沢寺跡に残る墓塔達を紹介します。


仁王像の近くに石祠が置かれています。
DSC_8909_20171212221307432.jpg
「鎮守」
寛文六年(1666)建立。

DSC_8905_20171222150156b0e.jpg
右左側面と背面に墨書きが残っています。
消えてしまっている部分も多いですが、赤外線撮影をすれば全てはっきりと見えるようになると思います。



DSC_8936.jpg
歳久墓所の左側へ進みます。


DSC_8912.jpg
多くの墓塔が現れました。
開けた場所に整然と並んでいます。

住持墓が数基見られます。
DSC_8916.jpg
「前永平宝福二十九世天外恵徹大和尚」
宝暦六年(1756)寂。

DSC_8914_201712122212129eb.jpg
「正桂浄盤和尚」


立派な墓塔もあります。
DSC_8918_20171212221346018.jpg
「書叟従永庵主」
寛文二年(1662)没。

右側面に「相良志摩守」とあります。
これに関しては後述します。


DSC_8926.jpg
天沢寺跡にはこの型の墓塔が非常に多くあります。



DSC_8939.jpg
歳久場所前に戻り、次は右側へと進みます。


DSC_8940_2017121222142053e.jpg
井戸。
なかなかの深さがありました。
もう使われてはいないようです。


DSC_8952.jpg
道を進むとまたしても多くの墓塔が現れました。

DSC_8942.jpg
ここではお馴染みの墓塔が並びます。


DSC_8947.jpg
その中に大きな五輪塔が一基。
「無天他外庵主」
延宝六年(1678)没。

DSC_8950.jpg
五輪塔の横には装飾がなされた石祠が。
内部の墓塔の戒名は摩耗してほとんど読むことができませんでした。
「大姉」とあったので女性であることは間違いなさそうです。
没年不詳。

ここにある墓塔のほとんどが「相良氏」の物のようなのです。
写してはいませんがこの墓塔群の手前には昭和に建立された新しく綺麗な相良家のお墓もあります。

天沢寺跡には先ほどの「相良志摩守」の墓塔をはじめとした相良氏の墓塔が多くあります。
なぜなのかは私の調査不足ではっきりしていません。

十五世紀から十六世紀頃にかけて島津宗家と豊州、薩州島津、菱刈氏らの間で争いがありました。
場所はこの辺りから北薩地域でした。
その争いに相良氏も加わっていたようなのです。
なので、その頃この地に移ってきたのかもしれません。

『川内市史』に相良氏系図が載っているので確認しに行きます。
何かが分かり次第追記します。


DSC_8958.jpg
奥にもたくさんの墓塔が並んでいます。
これらが相良氏の物かは未確認です。


DSC_8961.jpg

DSC_8962.jpg
天沢寺跡はとにかく広い。
まだまだ墓塔が眠ります。
薄暗くなってきたと同時に動物の気配がしたのでこの二枚の場所は未確認のままです。
ですので来年もう一度確認しに行きます。


これで以上!と言いたいのですが、紹介したい事がもう一つあります。
「天沢寺跡の見方」とでも言いましょうか。

まずはこの墓塔です。
DSC_8921_20171212221345dfa.jpg
「蓮香貞心大姉」
寛文八年(1668)没。
相良氏の墓塔です。

パッと見ると何の変哲もない古墓です。
しかし気になる物が一つあります。
それが戒名の書体。
彫られている字が実に見事なのです。

天沢寺跡にはこの墓塔を筆頭に、良い字の彫られた墓塔が多くあります。
最後にその一部を紹介します。


DSC_8933.jpg
「月照浄円居士」
寛文三年(1663)没。

DSC_8934.jpg
右側面に「木脇民〇少輔」
歳久殉死者である木脇民部の子孫でしょうか。

このように墓石の側面に生前の名前が彫られているのです。
墓塔の主の筆跡であるかはわかりませんが、そうであると思った方がロマンがあります。


DSC_8957.jpg
「寛心大量居士」
文化十二年(1815)没。

DSC_8955.jpg
俗名「相良半之丞 長利」


戒名を撮影し忘れました。
DSC_8927_20171212221400a92.jpg
「執戸(?)吉左衛門」

他にも見事な筆跡がたくさんありました。
筆跡には墓塔だけでは感じることのできない生々しさがあります。
そして顔も知らない数百年前の人々を何となく近くに感じられる気がします。

これらはこの辺りに教養のある人々が多くいた証拠です。
こういう郷土史や歴史資料には出てこない情報を、彼らは我々に教えてくれます。




以上が天沢寺跡です。
島津氏、東郷氏、相良氏というかつて敵同士であった人々が同じ場所に眠る。
他ではあまり見ることのない光景です。

江戸時代には島津歳久殉死者の子孫たちが灯籠を奉納し、「東郷渋谷氏」の子孫も供養塔を建立しました。
そして相良氏は現在に至るまでこの地に墓所が存在します。
天沢寺という寺院はこの地の人々にとって本当に無くてはならない場所、大切な場所であったのだと思います。
そして現在もそうなのだろうと思います。
それは寺院跡の現状を見るとわかります。

当時は寺院の庭に「虎尾」という桜の木があったといいます。
二百年前の話なので現存していないでしょうが、それも大変美しく、多くの人を魅了したのでしょう。


一度は訪れてほしい寺院跡であることに間違いありません。
本当にいい場所なので、これからもずっと大切にされていくことを願います。

車で行くことができ、駐車場らしき場所もありますが、無断で駐車してよいのか分かりません。



天沢寺
※天沢寺跡の横を流れる川に架かる「田海橋」は架け替え中により通行不能。
それに併せて川沿いの道も通行止めです(2017年12月現在)。
そのため八幡小学校側からしか行くことができない状況です。




DSC_8874.jpg

category: 寺院跡

thread: 史跡・神社・仏閣

janre: 写真

tag: 薩摩川内市 
Posted on 2017/12/22 Fri. 22:58  edit  |  tb: 0   cm: 0  

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