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天沢寺跡(1) 

随分と間があいてしまいました。
久しぶりに本職である寺院跡の紹介です。

今回は薩摩川内市田海町にある陽光山天沢寺です。
龍雲寺末曹洞宗。
本尊地蔵菩薩。
開山一岳等忍和尚。


この寺院は何度も寺号が変わっています。
創建当時の寺号は「重元寺」。
渋谷重元という人物の菩提を弔うために建立されました。

天正十六年(1588)宮之城島津の祖となる島津忠長がこの地を治めることになった際「曇秀寺」となります。
寺には忠長の父である島津尚久の位牌が安置されました。
しかし忠長の子である久元の時代になぜか「重元寺」に戻され、宗派も曹洞宗から臨済宗に改められます。

経緯は不明ですが、その後日置島津の四代当主久慶がこの地の領主となりました。
寛永十三年(1636)には久慶の父である常久の菩提寺に。
そして正保年間についに寺号が「天沢寺」となり、宗派も曹洞宗に戻ることとなりました。

領主が変わるたびに寺号が改められ、随分苦労したことでしょう。



DSC_8861.jpg
寺院跡に足を踏み入れると、仁王像一対が迎えてくれます。


DSC_8862.jpg
寛政十年(1798)造立。

DSC_8864.jpg
良い出来です。

DSC_8868.jpg
どのような壊し方をすればこうなるのでしょうか。

DSC_8866_20171212221221b1a.jpg
職人のノミの跡が残り、「想い」のような物まで伝わってきます。
とても細かく丁寧に造られています。



DSC_8872.jpg
仁王の背後に何かが見えます。

DSC_8898_20171212221257df4.jpg
とある人物の墓所のようです。


墓所の手前に石造物が二つ。
DSC_8895.jpg
「当寺前住賢道禅智和尚」
文久二年(1862)寂。


DSC_8892.jpg
「東郷渋谷氏先祖考妣各霊塔」
寛政十一年(1799)建立。

「考妣」とは亡き父母のことであるそうなので、この辺りにいた東郷渋谷氏の子孫が建立したのかもしれません。


DSC_8890.jpg
墓所。
久しぶりにここまで綺麗にされ、雰囲気も抜群な墓所を見ました。
写真を撮ることもせずしばらく眺めてしまうほどでした。


DSC_8880_201712122212354c3.jpg
「心岳良空大禅伯」
そう、ここに祀られているのは島津歳久です。

真新しい花、そして線香立て。
ここまで手厚くされている寺院跡の遺物はなかなかありません。
守っている地元の方々に感謝しなければなりません。


横に島津歳久に殉死した者達の名と戒名が刻まれた碑があります。
DSC_8882.jpg
せっかくですのでここに全て挙げようと思います。
墓塔の右のあるの案内板より。

(右から)
「戦士衆士卒次第不同」
権律師盛俊:長松院
月窓幸心上座:本田次郎〇〇
慶学淳喜居士:木脇民部
宝山善珎上座:三原源六
実隆文真上座:本田四郎左衛門
怡雲良悦禅定門:鎌田囚獄
玉林長泉禅定門:伊藤雅楽助
助翁存佐上座:東郷刑部
静庵永久居士:西牟田隠岐
賀室守慶上座:有河新五郎
一峰浄心禅定門:成合城助
桂庵守久禅定門:長倉兵部


DSC_8883_20171212221251b66.jpg
(右から)
心安春波禅定門:上床新助
江雲道照禅定門:嶋田右近
済翁道海上座:宮内伊代
喜叟浄慶禅定門:大山帯刀
浄庵寺清上座:古川与〇
長泉良寿上座:村松主殿
珠泉等金禅定門:鶴田主税
明窓正知禅定門:中馬源助
隆春玄興禅定門:竹下助八郎
華叟善香禅定門:大迫隼人
重山正弥禅定門:内田〇〇
一翁桓芳禅定門:木通〇〇

この二十四名が島津歳久の殉死者です。
「天正廿年(1592) 七月〇〇」とありますが、これは歳久と殉死者の命日であって墓塔の建立年ではないと思います。


墓塔の前に何気なくある石灯籠。
この灯籠には次のように刻まれています。
DSC_8884.jpg
「奉寄進戦死士卒子孫中」
寛保二年(1742)奉納。
殉死者の子孫たちが先祖の百五十周忌に奉納した貴重な石灯籠です。



実はここに歳久の墓塔が建立された明確な理由は不明です。
歳久が祁答院領主であったこと。
そして殉死者の中にこの周辺の出身者が何人かいた事が大きな理由であると考えられてはいます。

『東郷町郷土史』には寛保二年(1742)に殉死者の子孫がこの地に建立したとあります。
また、島津久慶により寺号が天沢寺に変えられた頃に建立され、それを寛保二年に改修したという説もあります。
どちらも「寛保二年」という点では共通しています。
先ほど紹介した石灯籠がその根拠の一つなのでしょう。

私は忠長が領主であった時代に建立されたのではないかと思っています。
自害した歳久の首は京都一条戻橋にさらされていました。
その首を盗み出し、京都の浄福寺に葬ったのが忠長でした。
忠長は歳久に対して何か思うところがあったのかもしれません。

その後この地の領主となった忠長が殉死者の子孫らと共にこの墓塔を建立した。
と考えるのが感動的であると思います。




天沢寺跡は非常に広いです。
次回はその広大な寺域に眠る墓塔たちを紹介していきます。

今回は学問的でしたが、次は違う視点から見ていくので眠くならないと思います。






DSC_8876_20171212221233c7f.jpg

category: 寺院跡

thread: 史跡・神社・仏閣

janre: 写真

tag: 薩摩川内市 
Posted on 2017/12/16 Sat. 22:31  edit  |  tb: 0   cm: 0  

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