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rejected works 2017-17 

いつもご覧いただきありがとうございます。
久々の「rejected works」。
今回は南九州市川辺町で偶然発見した「虎御前供養塔」を紹介します。


DSC_3702.jpg
まずこれらが目に入りました。

DSC_3716.jpg
「神殿下里の地蔵尊」
六地蔵塔です。

DSC_3710.jpg

DSC_3709.jpg
台座部分に刻まれてあった年代は判読不能になっていますが、江戸期の物であるようです。


DSC_3753.jpg
横に階段があります。

DSC_3739_20170905225602d55.jpg
階段を上ると見慣れない石造物が。


DSC_3726_20170905225549e1a.jpg
ただの三重層塔かと思いきや、上に何かが乗っかっています。


DSC_3734.jpg

DSC_3724.jpg
これが前々回の『雲朝寺跡』ですこしだけ紹介した「薩摩塔」です。
宝篋印塔の上に宝塔をくっつけたような形をしています。
詳細は不明ですが中国の石材が使われていることなどから、中国からもたらされた物だろうと考えられています。
鎌倉時代の物なのではないかと言われています。


DSC_3736.jpg

DSC_3729.jpg

DSC_3730_201709052255539c6.jpg
四天王か。

DSC_3733.jpg
これらは何を意味しているのでしょう。
須弥山の世界なのか、神仙思想の世界なのか、はたまた宇宙なのか。


供養塔の前には庚申供養塔。
DSC_3720.jpg
宝暦七年(1757)奉寄進。


DSC_3747_20170905225524f5a.jpg
横には迫力ある木が立っていました。
雷に打たれたような跡がありますが、その姿は力強さに満ちています。



ここまで淡々と紹介してきましたが、そもそも「虎御前」とは何者なのか。
簡単に紹介します。


建久四年(1193)、源頼朝主催の巻狩の際「曾我兄弟の仇討ち」という事件が起こりました。
その後兄弟は共に討たれます。
虎御前は兄の曾我祐成の妾でした。
大磯の遊女であったと伝わります。

虎御前は二人が討たれた後、各地の霊場を巡り二人の供養をします。
そして最終的に善光寺に至り、そこに二人の遺骨を奉納し大磯に戻りました。
その後大磯で二人の供養を続け、嘉禎四年(1238年)に亡くなったとされます。


歴史書である『吾妻鏡』に名が見えることから、物語上の人物ではなく実在の人物である可能性が極めて高いとされます。
しかしご覧の通り薩摩とは何の所縁もありません。
虎御前の墓と伝わる墓塔は日本各地にあり、これもその一つなのでしょう。
ただそのほとんどが五輪塔なので、この形の墓塔は珍しいです。

他にない珍しい石造物なので、ぜひ訪れてみて下さい。



虎御前




DSC_3766_2017090522560218d.jpg

category: rejected works

thread: 史跡・神社・仏閣

janre: 写真

tag: 南九州市 
Posted on 2017/09/10 Sun. 23:43  edit  |  tb: 0   cm: 0  

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