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玉泉寺跡(2) 

引き続き玉泉寺跡です。
護国神社からもう一つの区画へと進みます。

その前に護国神社の隅に石祠があることに気づきました。
DSC_3530_20170801194850d76.jpg
鳥居。

DSC_3545.jpg
石祠の両側には六地蔵塔の残欠。

DSC_3565.jpg
この石祠には由来が刻まれていました。

「明治二十三年(1890)二月十五 当村町三十戸失火ノ際延焼ニ罹リ堂宇悉ク焼失ス 因テ令般永田古市ヨリ古像ヲ奉迎シ〇テ石祠ヲ以テ之ヲ再建ス  明治二十三年七月三十日」

「堂宇が焼失した」とあるので、ここに何かしらがあったと思われます。
玉泉寺の建物が残されていた可能性もあります。
焼失して五か月後に永田古市から遷された古像が現在もこの石祠内にあるようです。
どのような像なのか気になります。


DSC_3535.jpg
六地蔵塔残欠。

DSC_3539.jpg
かなり肉厚な浮彫です。

DSC_3540.jpg
こちらも六地蔵塔残欠であると思われますが、原形をとどめていません。


ようやく次の区画に向かいます。
DSC_3523.jpg
入口に石像が座っています。

DSC_3522_20170801194848bb8.jpg
何の像であるかわかりません。
頭部があった場所にモルタルが投げつけてあります。
台座に「元禄二年(1689)」とありますが、石像と台座は別の物のような気がします。


DSC_3412_20170801194644b69.jpg
ここが二つ目の区画です。
前回紹介した一つ目の区画と違い、多くの石造物があります。


DSC_3413.jpg
ここも古い墓石が土地の土台に使われています。


DSC_3393.jpg
墓地内を進むと、片隅にひっそりと並べてある住持墓群に出会います。

DSC_3396.jpg
「金提」
文化九年(1812)寂。

DSC_3400_20170801194725549.jpg
「愚全」
文政元年(1818)寂。


DSC_3405.jpg
住持墓の横に石仏が。
こちらも頭部がモルタルの塊になっています。
造立年代などは不明。


DSC_3410.jpg
多くの墓石が置かれています。

DSC_3414.jpg
投げ捨てられている物。

DSC_3438.jpg
自然に還った物。
墓石の状態は様々です。


DSC_3434.jpg
玉泉寺跡にはこのようにきちんと花が供えられている墓石が多いです。
他の寺院跡ではあまり見られない素晴らしい光景です。


DSC_3421.jpg
小さな供養仏にも花が供えてあります。

DSC_3425.jpg
法名などは判読不能。


DSC_3499_20170805194856337.jpg
茂みの中に大きな墓石があります。
しかしあまりにも深く埋もれているため詳しく確認できませんでした。
草を取り除く装備を整えてもう一度確認しに行こうと思います。



そしてここに前回予告したとある人物の供養塔と呼ばれている物があります。
DSC_3516.jpg
それがあるのがここです。

DSC_3503.jpg
これがとある人物の供養塔と言われている物です。

そこには「梅梢自白居士」と刻まれています。
川辺町の歴史に関することが書いてある本によると、この供養塔の主の名は「平田靱負」。
これは宝暦治水の責任者であった平田靱負の遺髪墓であるというのです。

供養塔を詳しく見てると左側面に「宝暦四年」、右側面に「平田四郎兵衛父」とあります。
歴史に詳しい人はここで「おや?」と思うはずです。
平田靱負が亡くなったのは宝暦五年の五月ではなかったかと。
宝暦四年は治水工事で多くの犠牲者が出てしまい、一番苦労していた時期です。
そんな時に責任者であった平田靱負が亡くなっていたらとんでもない事になっていたでしょう。

実は平田靱負の正式な遺髪墓は肝付町にあります。
直系の子孫がいたため、伊敷にあった妙谷寺跡から当時の高山町の平田家墓所に移されました。

ではこの人物は誰なのでしょうか。
そしてなぜこれが平田靱負の遺髪墓と呼ばれるようになったのでしょうか。

ちなみにこの墓石があるこの場所も実は歴代平田家の墓所です。
平田靱負の物であるかはかなり怪しいですが、謎が残ります。


DSC_3507.jpg
伝遺髪墓の後ろには供養仏。

DSC_3510.jpg
これは未完成品でしょうか。




今回もご覧いただきありがとうございます。
以上が玉泉寺跡です。
行く前はあまり期待していなかったのですが予想以上に多くの物が残されていました。
平田靱負の遺髪墓に関しては事実でない可能性が極めて高いですが、結論を出さない方がロマンがありそうです。
興味のある方は訪れてみてはいかがでしょうか。
駐車スペースがあるので、車でも問題なしです。



玉泉寺



DSC_3422_20170801194658250.jpg

category: 寺院跡

thread: 史跡・神社・仏閣

janre: 写真

tag: 南九州市 
Posted on 2017/08/07 Mon. 21:30  edit  |  tb: 0   cm: 0  

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