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玉泉寺跡(1) 

今回は南九州市川辺にある龍豊山玉泉寺跡です。
常珠寺末曹洞宗。
本尊釈迦如来。

開山と創建年代には次のような話が記載されています。


初めこの寺院は宮村松崎という所にあり「長興寺」といった。
創建年代、開山は共に不明。
明応五年(1496)七月二十三日、島津用久の夫人が亡くなった。
法名は「玉泉智芳大姉」。
当寺をその菩提寺としたため「玉泉寺」と改め、祚龐和尚を開山とし、田布施常珠寺の末寺とした。
その後島津忠良が自らの像と位牌を安置させた。
理由は、この婦人が関わった寺院が必ず荒廃してしまうからである。
ちなみに玉泉大姉は忠良の大叔母である。

当寺に水田寄付の文書が数通収められている。
その文書によると応永九年(1402)から三十三年間は「宮村松崎長興寺」とあり、明応七年(1498)になって「平山長興寺」とある。
そして永正十年(1513)に「平山玉泉寺」と記されている。
これらの事から、当寺が現在の地に移されたのは明応七年より前で、「玉泉寺」に改号されたのは明応九年以降であろう。


このようにあります。
江戸時代の時点でこの寺院の詳しい事は分からなくなっていたようです。



玉泉寺跡は二つの区画に分かれた広大な墓地になっており、そこに遺物が散在しています。
DSC_3381.jpg
右に見えるお堂は光徳寺。
当時もこのような風景であったのかもしれません。


DSC_3383.jpg

DSC_3392.jpg
整然と並ぶ古墓。
この区画にある古墓はそれほど多くありません。


この墓地は台地のヘリにあるため、墓地の奥は崖になっています。
その崖の前に古い墓石があります。
DSC_3370.jpg

DSC_3376.jpg
山川石製だと思われます。

DSC_3375.jpg
こちらはツタに覆われています。


DSC_3379.jpg
写真ではさっぱりわかりませんが、この崖からは水が染み出ています。
「玉泉」の名は玉泉大姉からきたようですが、当時は境内に泉があったのかもしれません。
またこの崖は現在深いツタに覆われていますが、ツタを除去すると山川石の墓石が出てくるかもしれません。


DSC_3387_20170801194712a70.jpg
階段があります。

DSC_3390.jpg
上ると川辺小学校がありますが、古い物はありません。
しかし眺めは素晴らしいです。



DSC_3561.jpg
もう一つの区画へ向かいます。


DSC_3550_20170801194825d4a.jpg
右に鳥居が現れました。

DSC_3551_20170801194832cc6.jpg
川辺護国神社。

DSC_3557.jpg
社殿。
戊辰の役以降各戦没の戦没者の霊が祀られています。



一つ目の区画には遺物がそれほど多く残っていなかったので不安でしたが、しかしもう一つの区画にいっぱいありました。
また、ある人物の石塔があると聞いていたのですがそれもそこにありました。
しかし石塔を見つけたことによりあることが判明します。
それらはまた次回。


今回もご覧いただきありがとうございます。
一体誰の石塔があったのか、そしてその石塔から分かったこととは。

category: 寺院跡

thread: 史跡・神社・仏閣

janre: 写真

tag: 南九州市 
Posted on 2017/08/02 Wed. 22:30  edit  |  tb: 0   cm: 0  

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