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神興寺跡(2) 

引き続き神興寺跡です。


多くの住持が眠る神興寺墓石群ですが、この中に名僧が三人いるのです。
今回はその三人を紹介します。

まず一人目の名僧は前回紹介した墓石群の中にいます。
DSC_2564_20170512203900be2.jpg
一番手前にひときわ大きな五輪塔があるのがわかるでしょうか。
この人こそ「憲春法印」です。

DSC_2536_20170520222430af1.jpg
すさまじい重厚感です。
憲春法印の格の高さを表しているようです。

DSC_2537.jpg
「座主正〇 権大僧都法印 憲春 逆修 天正十八年(1590)文月」
「逆修」とあるので、憲春が存命の時に建てられた墓塔です。
神興寺が天台宗時代の住持であったため「座主」とあります。

憲春がこの墓塔を建立する三年前の出来事が三国名勝図会に記載されています。



天正十五年、関白豊臣秀吉が泰平寺に陣を敷いた時、先鋒の兵が神社仏閣に火を放った。
その時新田宮社家の菩提寺であった九品寺住持の憲春は新田宮の由緒を調べ、新田宮では兵火を禁ずるよう訴えた。
それにより関白は命を下し禁制の札を建て、新田宮は災いを免れた。これは憲春のである。
その後藩主は憲春の功を称賛し、憲春を近辺七里方の勧檀方とした。



この話は新田宮「菩提院九品寺」の項に書かれています。
新田神社を兵火から救った偉大な僧侶がこの憲春法印なのです。

話の中に出てきた禁制札は新田神社に今も大切に保管してあり、「新田神社文書九巻一枚」の一部として国の重要文化財にも指定されています。
ただの禁制札のはずなのになぜ重要文化財に含まれているのか。
私の予想にすぎませんが、この禁制札にはある四名の直筆連名があるからだと思います。
その四人は九鬼嘉隆、脇坂安治、加藤嘉明、小西行長というそうそうたる顔ぶれです。

禁制札が現存しているということは、憲春法印のお話が史実である可能性が極めて高いということです。
ですから墓塔の重厚感もうなずけます。

天正十五年から十八年の間に憲春は九品寺から神興寺に移り、亡くなったと思われます。



二人目の名僧が眠る場所に行きます。
DSC_2617_20170512204033bc6.jpg
二か所の墓石群の間に上へと延びる道があります。
目印はこの小さな五輪塔です。

DSC_2510_2017051220382784f.jpg
上ります。


DSC_2514.jpg
坂の途中の右手に住持墓。


DSC_2516.jpg
さらに上ります。

DSC_2661.jpg
するともう一つの墓塔群が現れます。


DSC_2517.jpg
ここでは江戸時代の無縫塔を数基見ることができます。
「権大僧都法印純雄塔」

DSC_2521.jpg
埋もれた五輪塔残欠。


そしてこの墓塔群の真ん中あたりに名僧の供養塔が立ちます。
DSC_2663_201705122041244aa.jpg
「権大僧都法印快善」
元禄十四年(1701)寂。
この石塔は「快善塔」と呼ばれています。

DSC_2667.jpg
上部には梵字。

DSC_2524_20170512203845bb7.jpg
「八業白蓮一肘間 炳現阿字素光施 禅智俱入金剛縛 召入如来寂静智」
『菩提心論』という仏教書の一説が刻まれています。

快善について三国名勝図会に次のような記述があります。



天正年間に災害があった。それにより神興寺の堂宇がことごとく荒廃し、ただ権現廟だけが残っている状態となった。
貞享二年四月、宮之城の真言宗寺院である神照寺の住持であった権大僧都快善という僧がこの山を訪れ、自らの閑居の地を占っていたのだが、この古跡のあまりの荒廃ぶりを哀れみ、資材を投じて当寺を再興した。
朝は遠くの山を望んで心を澄まし、日が暮れると温泉に入り身を休め、日々杖をついて徘徊し、春夏秋冬の風景を楽しみとしていた。
元禄十年の春、紫尾八景を選び、狩野昭信に絵を頼み、それに諸山の僧侶が詩をつけ、一つの軸にして神興寺に納めた。
その八景を胎生山・筆之山・錦之尾・両鹿勢・三日月山・光石・綾織山・陰陽師峯という。
また、当山不動谷に奥の院を開き、そこから上宮権現に参詣する際一歩一遍光明真言を唱え、また仁王経一万二千二百余巻を読誦した。
元禄十四年七月二十一日、六十八歳で入定。この年の九月十三日に亡くなった。



資材を投じて神興寺を再興したという名僧です。
真言宗の僧であったため、供養塔に「菩提心論」が刻まれているのかもしれません。
ちなみに現在この「神興寺僧侶の墓石塔群」がある場所は三国名勝図会の絵図に見える「快善塔」の場所であると思われます。
その絵図は最後に載せます。



三人目に会いに行きましょう
DSC_2600.jpg
先ほどの坂を上ってすぐの所にその名僧がいます。

DSC_2597.jpg
「権大僧都法印宥印」

薩摩川内市にある古刹泰平寺の住持を務めたことで知られる名僧です。
宥印法印について次のような逸話が三国名勝図会に残されています。



天正十五年、関白豊臣秀吉が大軍を率いて多くの城を落城させ、村落に火を放った。秀吉軍の勢いはまさに破竹の勢いである。関白は当寺に陣を敷きたいと思い使者を送り宥印法印にこう伝えた。
「速やかに寺を明け渡せ。もたもたしているとあなたにも害が及びますぞ。」
これに対し宥印はこう答えた。
「愚僧はこの寺の住持である。そうであるから寺と存亡を共にする。ここから一歩も退くつもりはない。」
その姿に慌てた様子はなく、落ち着きはらっていた。

このことを聞いて感動した関白は再び使者を送り(一説には秀吉本人とも)、礼を厚くし、敬意を持ってこう伝えた。
「大軍を引き連れてきたのであるが、本営とすべき場所が見つからない。泰平寺の境内は広大で、ここであれば全ての兵を容れることができそうである。願わくば貴僧にはしばらく寺を出てもらい、我々にこの地を借していただきたい。」
宥印は答えた。
「謹んでその頼みを受け入れよう。しかし出家の身であるのに兵を恐れて寺を出たなどと思われるのは後代の恥であるので、退去の場所を用意して欲しい。そうすれば命令に従う。」
関白は納得し、中郷にある宅満寺で寓居してもらった。
そしてついに関白秀吉軍は泰平寺へ入ったのである。

宥印は毎朝泰平寺を訪れ、御本尊の前で読経した。
読経のため大軍の中を行き来しなければならないにも関わらず、宥印にそれを恐れる雰囲気は全くなかった。
その姿に感動しない兵士はひとりもいなかったのである。

関白と島津義久の講和の際、二人の間に入って奔走し、ついにそれを実現させた。その功は大きい。
関白も「抜群の僧である」と絶賛し、田禄を与えようとした。
しかし宥印はそれを固く辞退しこう言った。
「国の主を辱めてしまった。この国の禄を減らしておきながら、どうしてこの愚僧が賞与を受け取ることができようか。」
それでも関白は田禄を与えようとしたので、これに対し宥印は。
「愚僧は仏に使える身である。したがって釈迦涅槃の二月十五日、当寺より七里四方の民に仏への供物をお与え願う。」
関白はそれに従い毎年二月に七里四方の民に米や粟などを与え、それは現在も行われている。

宥印には「長刀・一振」「建盞天目」「瑠璃杯・一」「瑠璃杯台」「茶壺・一」が与えられた。
なお長刀の今に伝わっていない。その他の四品は寺の宝物として伝わっている。



少し長かったですが、これが三国名勝図会「泰平寺」の項にある宥印法印の逸話です。
これが墓塔であるのか供養塔であるのかはわかりません。
正式な墓塔は薩摩川内市にある再興された泰平寺境内にあります。
ちなみに宥印が秀吉から賜ったといわれる宝物は全て廃仏毀釈の際に散逸したようです。

なぜ宥印法印の石塔がここにあるのか分かりませんが、石塔の形から快善塔と同時期に建立されたように思えます。
同じ真言宗で薩摩藩内屈指の古刹であった泰平寺の名僧宥印を称えて快善が建立した可能性も0ではないかもしれません。



以上がここに眠る三人の名僧です。
憲春と宥印は同時代の人物で、共に豊臣秀吉に対抗しています。
この二人は会ったことがあると思います。
当時の泰平寺と九品寺は徒歩で十分くらいの距離しかないはずなので、秀吉が攻めてくる前からお互いに面識があってもおかしくないでしょう。
秀吉が去った後二人でどのような話をしたのか気になるところです。

快善は前の二人から百数十年後の人物ですが、おそらく二人の事を知っていたでしょう。


紫尾神社の周辺は魅力がいっぱいです。
史跡を巡った後に温泉に入るもよし、温泉を楽しんだ後に史跡巡りをするもよし。
紫尾は素敵な場所なので是非一度は訪れてほしいです。



いつもご覧いただきありがとうございます。
次回、紫尾神社に関する物でもう一つ紹介したい物があるので、それについて書こうと思います。




紫尾山権現廟



紫尾権現
赤:紫尾神社
緑:神興寺僧侶の墓石塔群



DSC_2670.jpg

category: 寺院跡

thread: 史跡・神社・仏閣

janre: 写真

tag: さつま町 
Posted on 2017/05/21 Sun. 21:46  edit  |  tb: 0   cm: 0  

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