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紫尾山三所権現廟(2) 

引き続き紫尾山三所権現廟です。


DSC_2271_201704171655333a8.jpg
前回の最後に紹介した経塚から社殿前まで戻ってきました。


社殿前から境内奥へと続く道が延びています。
DSC_2295_20170417165554fa8.jpg
この先に境内最古の石造物が安置されています。


DSC_2337.jpg
途中の右手に菅原神社。


道の先に一基の五輪塔が祀られています。
DSC_2297.jpg
「空覚塔」
紫尾三所権現及び別当であった神興寺の開基とされている空覚上人の供養塔と言われています。
元は別の場所にありましたが、この場所に移されました。

DSC_2299.jpg
建立年代は不明。
凝った形をした五輪塔です。

紫尾には空覚上人についての伝説が残っています。
上人が山で修業中のある日の夜、夢枕に何者かが立ち、次のように告げた。
「私はこの地の大権現である。あなたが来るのを長い間待っていた。私の為に社と寺を建て、三密の旨を修し、大乗の法を広めよ」
お告げを聞いた朝、辺りを見回すと紫の雲が山の麓まで尾をひいていた。
それを見た上人は山を下り、ここを聖地と定め神社と寺院を創建した。
そのことからこの地は「紫尾」と呼ばれるようになったのである。

西暦522年の事だそうです。
「しかし522年は仏教が日本に伝来する前なので信ぴょう性はない」と三国名勝図会でもこの話は否定されています。


「紫尾」という名についてもう一つの話があります。

秦の始皇帝に仕えた学者で徐福という者がいました。
不老長寿の薬を求めて出発した徐福は串木野に到着します。
その際徐福は串木野のとある山の頂上に冠を置き、山を下ります。
この山が現在の「冠嶽」と言われています。
徐福はそのまま北上し、この地にやってきました。
そしてこの地を去る時に紫の紐を残していきました。
そのことからこの地を「紫尾」というようになったのです。

という話です。
こちらも後世の創作であろうと言われています。
いずれの話も否定されてはいますが、大変古い時代からこの地に社があったというのは間違いないと思います。



空覚塔の右に二基の石造物が置かれています。
DSC_2308.jpg
「方柱石塔婆」
建武元年(1334)建立。
明確な年代がわかる物では境内最古の石造物です。


DSC_2316.jpg

DSC_2312.jpg
「薬師如来」
「建武元年四月 行意満果円満也」との墨書が残っているそうです。


DSC_2317_20170417165655090.jpg

DSC_2328.jpg
「阿弥陀如来」

DSC_2318.jpg
「建武元年七月 行意頓證菩提也」の墨書きが残ります。

DSC_2310.jpg
側面に梵字の墨書きも残っています。

これらは祁答院氏第四代行重の生前供養塔であると言われています。
いまは屋根だけの簡素な覆い屋の中にありますが、当時は一基ずつお堂に祀られていたようです。
大変貴重な石造物です。
これ以上劣化しないようにすべきであると思います。



以上が紫尾三所権現廟です。
周囲にはまだ数多くの遺物が残されています。
それらは見つけ次第、順次掲載していこうと思っています。

いつもご覧いただきありがとうございます。
次回は紫尾三所権現廟の一部であった「神興寺」に関係の深い石造物群を紹介します。




DSC_2414.jpg

category: 神社

thread: 史跡・神社・仏閣

janre: 写真

tag: さつま町 
Posted on 2017/05/05 Fri. 21:27  edit  |  tb: 0   cm: 0  

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