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正龍寺跡(3) 

正龍寺跡の第三回目です。


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ここが「旧正龍寺跡墓石群」です。
墓石が整然と並んでいます。


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墓石群のに入ると、まず一体の石仏が迎えてくれます。

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首は刎ねられています。
しかし良いたたずまいです。

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彫りも細かい。

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背面。
元文四年(1739)没の人物の墓石の上に載っていますが、関係は不明です。


墓石群の敷地内には様々な種類の石造物が並んでいます。
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石祠。

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位牌が彫られています。
「〇寿妙圓大姉」
慶應三年(1867)没。


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何かの石塔の一部でしょうか。
これだけで1m程あるので、かなり大きな石塔であったと思われます。


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五輪塔群。

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五輪塔群の横の茂みにも墓石が埋もれています。


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様々な形の住持墓が並びます。

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「寿岳」
きれいな卵型です。

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「問〇」
文禄年間か。
少し古めの型です。

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「当山二十世通岩享和尚禅師」
宝暦十三年(1768)寂。
当ブログを見てくださっている方にとってはおなじみの型の住持墓です。


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石祠型。
「月宗」
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文久二年(1862)寂。

この石祠は少し変わっているのですが、それは背面を見れば分かります。
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月宗和尚がいるのです。

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おそらく修復した際、石祠の内側を向くべき面を外側に向けてしまったのでしょう。
間違いのおかげでこのような不思議な石造物になってしまいました。


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一石五輪塔板碑。
「〇岳 道〇居士」
寛文八年(1668)没。


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「琉球国 〇〇東村大城仁屋」
天明六年(1786)没。
珍しい琉球国の人物の墓石です。


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線刻地蔵菩薩立像。
永禄九年(1566)?
これも珍しい線刻の石仏です。


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「読経大乗妙典一千部」
「賀雲妙慶」
といった文字が見えますが、風化によりよくわかりません。
この板碑が建立された経緯などが刻まれているようです。
天文二十一年(1552)建立。


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これは「正龍寺宝珠付角柱石塔婆」として別の文化財指定を受けています。
ある上人が永禄十年(1567)に山川に二十一日間滞在し、念仏講を行ったという内容の文が刻まれているようです。

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「大旦那池田隼人助夫婦」



先ほどの石仏の後ろにこのような物もあります。
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鬼瓦の残欠と餓鬼の頭部でしょうか。

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怖かわいい顔です。



史跡になっている場所だけでもこれだけ多くの物が残されています。
種類だけでなく時代や身分も様々です。
そして人々の想いのこもった石造物もありました。
それらが、この正龍寺が長い間山川の文化の中心であり、また人々の信仰の中心でもあったことを証明しているように見えました。

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眺めもとても良いです。
当時はもっと見晴らしがよかったのではないでしょうか。



いつもご覧いただきありがとうございます。
とりあえず次回で石造物の紹介を終えたいと思っています。
まだまだいい物が出てきますので、お楽しみに。




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category: 寺院跡

thread: 史跡・神社・仏閣

janre: 写真

tag: 指宿市 
Posted on 2017/04/07 Fri. 21:53  edit  |  tb: 0   cm: 0  

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