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清涼院跡(2)
引き続き清涼院跡です。

千手観音のある場所から墓地の奥へと進みます。


進んですぐの所に小さな石仏があります。
詳細は不明。

奥へと進むと左手に細い階段が現れました。

落ち葉や枝が散乱しています。
大きな木の枝が道をふさいでいたので片付けてきました。


後継者がいないのでしょうか。
現代の墓石までも埋もれています。

現代の墓石までもが埋もれてしまっている墓地にひっそりと供養仏がたたずんでいます。

元禄十四年(1701)没。
階段を上りきると、ある人物の墓所に着きます。


肝付兼屋の妻であった「清涼院」の墓所です。
萬松山清涼院はこの方の菩提を弔うために建立された寺院です。

立派な石門の奥には立派な石祠がありました。

装飾も細かいです。

内部には清涼院の宝篋印塔が安置されています。

左側に石祠がもう一基あります。

案内板に「肝付兼柄の姉」とありました。
清涼院より少し小さい石祠です。

墓所前に石灯籠残欠。
墓所の前には見るべき物がもう一つあります。
それがこちらです。


「十三仏」です。
冥界の審理に関わる13の仏達が彫られています。

最上段。

中段。

最下段。
そしてこの十三仏の裏側にもう一つの仏像が彫られています。


毘沙門天です。

十三仏及び毘沙門天が彫られたこの石造物についての詳細は全く分かっていません。
いつ建立されたのか、なぜここにあるのか、そしてなぜ両面に彫られているのか。
全ては謎のままです。
以上が清涼院跡です。
墓地にはもう少し奥があったのですが、この後天候が荒れてきたので今回は行きませんでした。
要再訪です。
文化財の豊富な寺跡です。
千手観音や小さな石仏にまで花を供えてあったように、どれも大切にされていました。
目の前に駐車場があるのですが、おそらく寺跡の横にある会社の駐車場なので停めないほうがよいと思います。
そこ以外の駐車スペースがあまり無いのが難点ですが、是非訪れてほしい場所です。


千手観音のある場所から墓地の奥へと進みます。


進んですぐの所に小さな石仏があります。
詳細は不明。

奥へと進むと左手に細い階段が現れました。

落ち葉や枝が散乱しています。
大きな木の枝が道をふさいでいたので片付けてきました。


後継者がいないのでしょうか。
現代の墓石までも埋もれています。

現代の墓石までもが埋もれてしまっている墓地にひっそりと供養仏がたたずんでいます。

元禄十四年(1701)没。
階段を上りきると、ある人物の墓所に着きます。


肝付兼屋の妻であった「清涼院」の墓所です。
萬松山清涼院はこの方の菩提を弔うために建立された寺院です。

立派な石門の奥には立派な石祠がありました。

装飾も細かいです。

内部には清涼院の宝篋印塔が安置されています。

左側に石祠がもう一基あります。

案内板に「肝付兼柄の姉」とありました。
清涼院より少し小さい石祠です。

墓所前に石灯籠残欠。
墓所の前には見るべき物がもう一つあります。
それがこちらです。


「十三仏」です。
冥界の審理に関わる13の仏達が彫られています。

最上段。

中段。

最下段。
そしてこの十三仏の裏側にもう一つの仏像が彫られています。


毘沙門天です。

十三仏及び毘沙門天が彫られたこの石造物についての詳細は全く分かっていません。
いつ建立されたのか、なぜここにあるのか、そしてなぜ両面に彫られているのか。
全ては謎のままです。
以上が清涼院跡です。
墓地にはもう少し奥があったのですが、この後天候が荒れてきたので今回は行きませんでした。
要再訪です。
文化財の豊富な寺跡です。
千手観音や小さな石仏にまで花を供えてあったように、どれも大切にされていました。
目の前に駐車場があるのですが、おそらく寺跡の横にある会社の駐車場なので停めないほうがよいと思います。
そこ以外の駐車スペースがあまり無いのが難点ですが、是非訪れてほしい場所です。


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