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日新寺跡(2) 

引き続き日新寺跡です。

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「いにしへの道」
竹田神社から島津忠良墓所へと続く道です。


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道には島津忠良が創作下「いろは歌」の石碑が並びます。

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「いにしへの 道を聞きても 唱へても わが行ひに せずばかひなし」


いにしへの道を少し外れたところに石祠があります。
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島津尚久墓。
忠良の子で、肝付氏との闘いの途中に病没した人物です。
永禄五年(1562)没。


左に宝篋印塔が置かれています。
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「道春禅定紋門」
尚久に殉じた尾辻佐左衛門という人物の墓塔であるそうです。
壮絶な死に方をしたようで、次のような話が伝わっています。


肝付氏との戦いの最中、尚久が福山町付近で病没。
佐左衛門はその報告に忠良のもとを訪れた。

「佐左衛門は殉死するつもりである」

報告をする佐左衛門の姿を見て、忠良はそう直感した。
そこで、殉死を防ぐべく佐左衛門の刀を没収した。
しかし佐左衛門は報告を終えた後、尖った石で腹を切り尚久に殉じたのである。


なかなか壮絶な話です。
佐左衛門はそれだけ尚久を慕っていたのでしょう。



尚久墓の後ろにも墓石が一基置かれています。
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「久林道昌居士」

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「冨松左京」
墓塔の主の名です。
天文七年(1537)没。



尚久墓のある場所の一段上に墓地があります。
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現役の墓地ですが、かなり荒れています。


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墓じまいされたお墓の跡には枯れ葉が積もっています。


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ツルに覆われた墓塔が並びます。

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花瓶が埋められています。
しかしここに花を供える人はもういません。


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明治以降の墓塔ですが、荒廃しきっています。
きちんと墓じまいされているようには見えません。


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大きな石祠が二基。
中には宝篋印塔が納められています。
江戸時代から続く家の墓塔です。
子孫の方が定期的に訪れているような痕跡がありました。


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墓塔、石祠が集められています。

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享和三年(1803)建立。


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石祠の屋根が埋まっています。


宝篋印塔が三基並びます。
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「三勇士の墓」
永禄二年(1559)の飫肥における伊東氏との戦いで活躍した者たちの墓塔です。
活躍したのですが、全員戦死しました。


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奈良原長門墓。
「加世田○浦地頭」と刻まれています。
江戸時代以降も薩摩藩に「地頭」の名称が残っていた証拠の一つです。

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奈良原長門の墓塔の上に、もう一つの奈良原長門の墓石が載せてあります。
「天正十年(1582)」と刻まれていますが、間違いであると思われます。

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「梨山春公上座」
春成兵庫助久正墓。

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梶原藤七兵衛墓。



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三勇士の墓塔の背後に日新寺歴代住持の墓塔が並びます。
それは次回紹介したいと思います。



見る物があまりに多いため紹介が長くなっていますが、お付き合いいただけるとありがたいです。


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category: 寺院跡

thread: 史跡・神社・仏閣

janre: 写真

tag: 南さつま市 
Posted on 2016/11/11 Fri. 20:52  edit  |  tb: 0   cm: 0  

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