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上宮寺跡 

今回は南さつま市金峰町にある水晶山花蔵院上宮寺跡です。
一乗院末真言宗。
本尊阿弥陀如来坐像。
伝説では推古天皇二年(594)、日羅によって建立されたとなっています。


上宮寺が廃寺となったのは他の寺院よりも遅い明治三年(1870)でした。
島津忠良所縁の寺院だったため、最後まで残されていたのでしょうか。

現在は和多利神社となっています。



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参道。
最盛期は支坊が十二あったようです。
この参道沿いに並んでいたのでしょうか。


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全景。


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和多利神社鳥居。

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丸に十の字がはめ込まれています。


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「無格社 和多利神社」


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境内。



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拝殿。

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ここにも丸の十の字があります。

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さらに丸の十の字。

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拝殿内に何か掛けられています。
詳細は全く分かりませんが、龍でしょうか。



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和多利神社本殿。

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本殿にも丸の十の字が。
島津所縁の場所であることを前面に押し出しています。

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玉垣。



境内の片隅に上宮寺時代の遺物が置かれています。
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庚申石祠。
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宝暦十年(1760)建立。

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明治六年(1873)建立。


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こちらは常夜灯の残欠でしょうか。


石祠の横に仁王像残欠が置かれています。
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これで一体分です。

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胴体。

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脚部。

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脚部の上に頭部が乗っかっています。

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後ろに足が仏足石のような形で残っていました。
この仁王像の造立年は風化により判読不能でした。


もう一体はどこへ行ったのかと探していると、鳥居の横にありました。
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脚部のようです。
自然と一体となり、パッと見るだけでは仁王像と気づかないくらいです。



ここにある遺物は以上です。
最後に三国名勝図会に記載されている上宮寺創建に関する伝説を載せることにします。
興味がある方はご覧ください。



 推古天皇二年のことである。
百済から来朝した日羅がこの地を訪れ、錫を当山に置き修行をしていた。
ある時水晶玉が空から飛んできてこの山に落ち、瑞光を放っていた。
その光は山中だけでなく、山の外にも広がり、あたりは花蔵界のようであった。
 日羅はこの不思議を吉兆であると感じ、都にお知らせした。
それによりこの地に神殿及び当寺を建立し、水晶を神体として神殿内に安置した。
その神殿は現在当時境内にある「上宮熊野権現社」である。
 水晶玉は紀州熊野山から飛んできたものだという。

 建久年間、当郷の郡司二階堂土佐守が鎌倉大将軍の命令で上宮神司及び当寺を再興した。
また永正十五年(1518)、上宮の神託があった。
それは「神体の水晶玉を石棺に収め、当山の地中に埋め、神鏡を新たな神体にすべし」ということであった。
それに従い水晶玉を埋め、神鏡を奉安した。
これは島津運久の時代のことであったという。
 
 天文の時、島津忠良は加世田城を攻める時、当時の住持であった政誉法印に命じ敵の降伏の法を修するよう命じた。
その時運気を見た場所に松を植え「勝手松」と呼んだ。
忠良は城を落とした後、当寺に土地や田畑を喜捨した。

○寺宝
・島津運久及び忠良の影像一軸:天文七年(1538)加世田城を落とし、翌年の一月一日に凱旋した際、政誉法印が門前三本杉の元で拝謁し、勝利を祝っているのを現した図である。

・神鏡八面:その中の一枚に大願主島津藤原忠幸。永正十五年戌寅五月廿一日と記す。(忠幸はのちに運久と改名)




以上が三国名勝図会に記載されている上宮寺にまつわる話です。
上記の寺宝はどちらも現存し、保管されているそうです。
ただし保存状態が若干気になるところです。

勝手松は天保七年(1836)に台風で倒れ、その後別の松が植えられたようですが、確認できませんでした。
また、門前の三本杉は江戸後期までは三本中二本が残っていたようですが、現在は不明です。
現在境内にある大きな木はこれだけです。
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この神社に関してもう一つ。
今年の五月頃のことです。
この和多利神社境内で不思議なものが見つかりました。
小さな四角い石材なのですが、その石材になぜか真田氏家紋の「六文銭」、豊臣氏家紋の「桐紋」そして島津氏家紋「丸に十」のような紋が彫られていました。
この石材が真田信繁が薩摩に落ち延びてきたという伝承の証拠となるのか、それとも後世に誰かが面白半分で作ったのか。
詳細は全く不明ですが、想像力が掻き立てられ面白いです。

石材は調査中のため、現在神社にはありません。



こじんまりとした神社です。
国道が近くにあるのですが、静かです。
普段は誰もいません。
朝に地元の方が訪れるくらいでしょうか。

廃仏の時ですら最後まで残された歴史と由緒あるお寺も、今はお寺としての歴史を刻むことなくひっそりと佇んでいます。

横に駐車場があるので車でも問題ありません。
一度参拝してみてください。


実はこの近くに墓地があり、そこにいくつかの墓塔が残されていることを帰宅後に気づきました。
再訪し次第追記しようと思います。




上宮寺跡




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category: 寺院跡

thread: 史跡・神社・仏閣

janre: 写真

tag: 南さつま市 
Posted on 2016/10/24 Mon. 21:04  edit  |  tb: 0   cm: 0  

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