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見性庵跡(2) 

引き続き見性庵跡です。

今回は墓地の第二区画へ向かいます。

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第一区画と第二区画の間に龍光寺があります。

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山門。
「薩州島津家菩提所」とあるように、龍光寺は薩州島津家という島津家の分家の菩提寺でした。
ただし薩州島津家はいろいろあって改易されています。

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本堂。
現在のお寺は廃仏後に珍しく当時のままの曹洞宗で再興されたお寺。
ただし江戸時代はここから少し離れたところにありました。

『三国名勝図会』にお寺の位置が書かれているのですが、全く異なるところに辿り着きます。
おそらく誤表記でしょう。


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階段の下には大きな仁王像が。
こちらは阿形。
風化してかなり読みにくくなっていますが、わずかな情報からたぶん天和元年(1681)造立だと思われる。
かなり古い部類に入ります。

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吽形。
堂々たる指の太さです。


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龍光寺仁王像の横に小さな仁王が立っています。
これが見性庵の仁王像でしょうか。
造立年は不明。

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仁王の上半身です。
ちょいグロ。


お寺を過ぎてようやく第二区画に到着です。
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広い。
ここに古い石塔が散在しています。


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素敵な石塔の数々。

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有頸五輪塔。
「雪深玄霜居士」
万治元年(1658)没。

この形の墓塔は十六世紀までと思っていたのですが、どうやら違ったようです。
これだから古寺跡巡りはやめられません。


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無縫塔。
絶妙に銘文が見えない方向を向いていたので詳細不明。


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墓塔群の前にたいへん立派な自然石墓塔が立っています。

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「天叟幸公居士」
こんなに立派なのに没年が彫られていません。
こういう墓塔がよくあるのですが、没年を彫らない基準が未だにわかりません。


自然石がまだまだあります。
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「慶翁承賀居士」
慶安四年(1651)没。
貴重な慶安年間の墓塔。
なぜ慶安の墓塔が少ないのか不明です。

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「真○庭林居士」
没年判読不能。
ノミの痕がたまりません。


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まだまだあります。


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埋もれているものもいっぱい。


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「玄堂禅童子」
寛延元年(1748)没。
あっても驚くことはないですが「禅童子」という戒名は珍しいです。
写真で見るよりも立派な子供の墓塔。


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大正時代のもので古くはないですが、鹿児島の港町の墓地でよく見る墓塔です。
ただ二体で一つのものは珍しい。


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こちらにもこの形があります。
しかもこれは明治時代のもの。
明治までこの形が受け継がれていた証拠です。
なんの意味が込められているのだろう。


さて、ダラダラと墓塔を紹介してきましたが、最後はこれです。
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「圓心宗方上座」
万治元年(1658)寂。

少し離れた場所で大切に供養されていました。
戒名の下に蓮台が彫られ、墓塔自体も1m50cmほどの大きな自然石。
書体も見事。
高得点の墓塔です。



今回もご覧いただきありがとうございました
以上が見性庵跡です。
珍しいものが多く、久しぶりにテンションを上げてくれた古寺跡でした。
古寺跡では各地の独自の文化がチラチラ見えるのですが、ここはどんどん現れるのが刺激的です。
駐車場もあり誰でも気兼ねなくいくことができるので、ぜひ一度訪れてみてください。




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実はここには紹介しないといけないものがあと二つあります。
それはまた別の機会に。



石塔マニア向けnote


あいらびゅーFM(89.1MHz)に出演中!
次回は6月4日(金)12時から!

category: 出水市

thread: 史跡・神社・仏閣

janre: 写真

tag: 出水市 
Posted on 2021/05/31 Mon. 23:11  edit  |  tb: 0   cm: 0  

見性庵跡(1) 

ずいぶんと間が空いてしまいました。
二か月ぶりの古寺跡紹介です。

今回は出水市にある了悟山見性庵跡です。
龍光寺末曹洞宗。
本尊不明。
開山終天和尚。

現在はこの場所に龍光寺が再興されその周りが墓地になっています。
墓地は二つの区画に分かれ、そこら中に古い墓塔が置かれています。


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まずはこちらの第一区から。


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ひっそりと無縫塔があります。
写真で見るよりずっと大きいもの。
1m以上あります。

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「当寺前住喝山」
天明三年(1783)寂。

もう一基は風化で銘文が判読不能です。


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横には倒れて割れた大きな墓塔が。
倒れたのは廃仏の影響ではないでしょうが、古寺跡でよく見る光景です。


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多くの墓塔が寄せ集めてあります。
石材も少し独特ですが、ここの墓塔には三つの特徴があります。


まずは一つ目の特徴。
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とにかく自然石の墓塔が多い。
しかも立派。

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「鶏(?) 一溪令機上座」
寛永十九年(1642)没。
大きく、エッジの効いた素晴らしい墓塔。
しかもなかなか貴重な寛永期のものです。

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「月照永江居士」
没年不明。
こういう墓塔がゴロゴロしています。


もう一つの特徴ある墓塔がこれです。
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「春室妙華大姉」
安永七年(1778)没。

謎のくびれがあります。
どういう意味があるか分かりません。
同じ出水市内でも野田まで行くと姿を消します。
このような形の墓塔を見ることができるのはさつま町だけです。
なので紫尾山の方から入ってきた文化なのかもしれません。

中間地点の高尾野をチェックしないといけないでしょう。

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いっぱいある。

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「俗呼 青山善助○
藤原名 長覚弱(?)○
而入 南陽門○○」
没年不明。

いい佇まいの墓塔です。


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横にスタンダードタイプの墓塔があります。
スタンダードとはいえ、いろいろと豪快。
「○山玄満居士」
この古寺跡で唯一墨でなぞられている墓塔でした。
没年は不明。


三つ目の特徴がこれ。
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「桂誉安月居士」
嘉永元年(1848)没。
正面だけでなく側面も掘り込み、そこに没年が彫られています。
ものすごくたくさんあるわけではないですが、他の地域ではあまり見ることのないデザイン。
お金持ちの匂いがします。

さらに独創的な墓塔があります。
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「○醫軒龍心清雲居士」
なんだかすごくカッコいい戒名ですが没年は不明。

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おそらくいろいろなパーツを組み合わせたものでしょうが、全体のバランスがとても良い。
特に笠石の雰囲気が最高です。


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よく見ると無縫塔がいたりします。

DSC_7576.jpg
ここにも。
手前「権大僧都大越家~」
奥「大越家~」
二基とも没年は判読不能。

「大越家」は「だいおっけ」と呼びます。
修験者(山伏)の位を表す用語です。


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これも山伏のお墓。
「権大僧都~」
享保四年(1719)寂。

山伏のお墓があるということは真言宗寺院があったことになります。
出水に真言宗寺院があったのは間違いないですが、どれなのかは今後調べます。


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これに関しては正体不明です。
梵字の下に円相がある。
その中に何かが彫られているのですが判読不能です。
二文字なので梵字ではなさそう。


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北薩地域独特の八角墓塔もありました。
右「○覚禅定門」:寛永○年没。
左「~禅定尼 孝子」:元和○年没。
おそらく夫婦の墓塔。

1600年代には消えてしまったのだろうと思いきや、寛永年間ものもが出てきちゃいました。
また考え直しです。


そして今回最後に紹介するのがこの墓塔。
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「月山義道居士」

いたって普通のかわいい墓塔です。
気になるのが没年。
慶應四年七月でした。
明治維新の二か月前。
そして廃仏毀釈の真っ最中。
この時期出水ではまだ寺院が機能しており、仏教が生きていたことがわかります。
何気ない墓塔ですが、薩摩藩最末期の貴重な仏教遺物といえるでしょう。


以上が第一区でした。
これだけでも十分な量ですが、墓塔はまだまだあります。
それはまた次回。
なるべく早く書きます。




よりマニア向けにnote書いてます。



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次回は5月28日(金)12時から!

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Posted on 2021/05/23 Sun. 00:53  edit  |  tb: 0   cm: 0