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福昌寺跡の謎の祠 

現在、鹿児島市立ふるさと考古歴史館で「ハイジ(廃寺)とメイジ(明治)」という企画展をしています。(1月14日まで)
その中に前回紹介した「鏡石巌」の近くで祠が新たに見つかったという展示がありました。
ということで探してみました。

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鏡石巌から降りてきました。
祠の手掛かりは何もありません。
ただ人が踏み入った形跡が何となく分かるので、そちらへ入ってみます。

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生い茂っています。
人の入った痕跡を辿りながら周囲を見回していると…。


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ありました。
随分上の方にあります。

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目の前まで来ました。
しかしここからが問題でした。

目の前はほぼ垂直な斜面。
そこに細い道のような何かが祠方面に延びています。
ロープなど無いので、祠へ行くには木や岩にへばりついているツタを掴みながら進むしかありません。
危険すぎて、ここも一人では行ってはいけない場所のようです。


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到着です。
これが新発見の祠です。

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詳細は不明。
そしてこの祠の横の岩壁に文字が彫られています。

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「癸亥
文亀三年(1503)
月日

宗津」

と彫られています。
宗津という人物が文亀三年にこの場所に彫ったものでしょう。
では「宗津」とは誰なのか。
この人物に関して三国名勝図会に記述があります。
原文のまま記載します。
ただし漢字は現在の形に直します。


「賜禅師号 勅書。当寺の住持に禅師号を賜ふ者、歴代凡そ五人余ありて、其皆勅書あり。今勅書の一を挙るのみ。

勅精藍地古。前楼後閣聳傑雄。法林日新。左山右水起脈脉。宗津和尚奕世檀度恕翁之葉。透石屋嫡祖之機。
昔挙丹陽路難。未忘鳳生之露宿。今卜錦里勝槃。况存龍室之風規。昼誦夜禅。省脅尊者識量。道陶徳治。発光法師煉修。
名耀西州。誉達北闕。特賜仏智法照禅師。

永正六年(1509)、八月二十五日

右当寺第十一世天祐宗津和尚に禅師号を賜へる勅書なり。」


年代から考えて「宗津」の正体は、福昌寺の歴代住持の中でも割と知られている天祐宗津和尚であると思われます。
「天祐和尚」と呼んでいたのですが、「宗津和尚」が当時の名称だったようです。

宗津和尚は仏像を彫ることが得意だったと言われています。
そして昼にお経を読み、夜に禅を組んでいたとあります。
宗津和尚はこの祠に自作の仏像を置き、ロウソクを立て、この場所で禅を組んでいたのではないでしょうか。

私が木やツタをつかみながらこの場所に来た時、「こりゃあ修行だわ」と思ったのを覚えています。
常に修行を怠らなかった宗津和尚が福昌寺内で見つけた修行の場。
それがこの祠のある場所ではないでしょうか。
いつもの私のいい加減な推論です。

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この大きな岩の下にある、人ひとりが何とか座ることのできるわずかな空間。
他の僧の迷惑にならないこの場所で宗津和尚が禅を組んでいたかもしれない。
そう思うと妙に居心地がよくなりました。


祠から少し下った場所から写真を撮りました。
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島津斉宣の墓所がこんなに小さく見えます。
これで祠の高さを実感してもらえればと思います。


最後に、以前紹介したことがあるのですが、もう一つ謎の空間を改めて紹介します。
そこは前回の鏡石巌の案内板が立っている場所です。
上から見てみると、
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このようにコの字型の空間になっています。
ここを古い石垣が囲っているのです。

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詳細は不明。
この辺りには「憩月亭」という建物があったと書かれています。
その建物の下に池を作り、水面に月が映るのを眺めていたとされています。
この空間はその池、または憩月亭の遺構なのではないかと勝手に推測しています。
ここが一体何なのかずっと気になっているので、今後の調査が楽しみです。


本日もご覧いただきありがとうございました。
今年の福昌寺初詣は、危険な場所ばかりでしたが驚きの発見の連続でした。
良いスタートです。

「西郷どん」の影響か、島津斉彬や久光の墓所にいつもより多くの人が訪れていたのも驚きでした。
やはりテレビの力は偉大ですね。


次回まで古寺跡の紹介ではなく、石造物の「謎」シリーズになります。
古寺跡の紹介はもう少しお待ちください。



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category: 寺院跡

Posted on 2019/01/12 Sat. 21:59  edit  |  tb: 0   cm: 0  

真・福昌寺十二景「鏡石巌」 

明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。

昨年は初めての出版準備のため、まともな更新がほとんどできませんでした。
申し訳ありません。
本に関しては様々なメディアで取り上げていただいたり講演の機会を作っていただいたりと、本当に感謝です。
第二弾を目指して今まで以上に精進してまいります。

年が明けてだいぶ落ち着いたので、ブログを再開します。
ただし全盛期よりも更新頻度は少なくなると思います。


さて今回ですが、当初はある石塔から生じた謎について書こうとしていたのですが、急遽変更することにしました。
記事のタイトルでバレていると思いますが、真のアレを紹介します。


この活動に本気で取り組み始めてから私の初詣は島津本宗家菩提寺の「福昌寺跡」です。
今年も例年通り福昌寺跡に行き、ぐるっと一周しました。
いつもは素通りするのですが、この日どうしても気になり立ち止まった場所があります。
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それがここ、島津重年墓の前です。
気になったのは重年の墓塔ではなく、その後ろにちょこっと見えている物です。

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「福昌寺十二景 鏡石巌」
と書かれた案内板です。
これの存在は福昌寺跡に通い始めた当初から知っていました。
しかし案内板の周りを見ても何もありません。

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背後もこの通り藪になっており何もありません。

何より少し離れた場所にこれがあるのです。
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「巌」に「石」の「鏡」が彫ってある。
まさしく「鏡石巌」。
福昌寺跡を訪れたことのある方々に話を聞いても、皆これが「鏡石巌」と言います。

そういうこともあり、
「あの案内板は間違っている」
「こっちが本物に間違いない」
という確信を持っていました。
本にもこれを「鏡石巌」として載せてあります。


しかしこの日は何かが違いました。
霊感など無いのですが、案内板の左奥あたりからものすごい気配を感じるのです。
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一度わけ行ったことがあるのですが、その時はすぐに引き返しました。
しかし今回はもう少し進みます。

すると、
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見つけてしまいました。
昨年の末に川辺の山奥にある「宝福寺跡」へ行った時の経験から、これがあるということは上に何かがあるというのが分かるのです。

傾斜が急で足場の悪い斜面を上ると…
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やはりありました。

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あってしまいました。

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これが真・福昌寺十二景「鏡石巌」です。

見つけた瞬間笑ってしまいました。
「こりゃ分からんわ」という感情が大きかったからです。

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大きな円が岩に彫ってあります。
一部に白い色が残っているのですが、それが当時塗られていたという白亜なのか、自然のカビなのかは分かりません。

教育委員会以外にこの場所を見つけた人がいたらしく、表面に落書きが刻まれています。
昭和二十八年(1953)の年号なども見え、もはや落書きも歴史の一部になりかけています。


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さすが福昌寺十二景の一つ。
どの角度からも美しい。

『三国名勝図会』の「鏡石巌」の説明にはこうあります。


「寺後の山巌絶壁の間にあり。絶壁の半に一円相を打して、白亜を施せり。客あり門に向へば、大円鏡に封するが如し。」


福昌寺の門に向かうとこれが見えたというのです。
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確かにこの高さなら山門の場所から見えたでしょう。


では「鏡石巌」だと思っていたこれは何なのか。
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結論は出ていないようです。
私の勝手な推測かつ暴論なのですが、これらも「鏡石巌」なのではないでしょうか。
そんな気がしてなりません。
確かに『三国名勝図会』に描かれている「鏡石巌」は先ほどのものでしょう。

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しかし記述にあった「門」がこの門だった場合は当初思っていたものを示すことになります。
「鏡石巌」が複数あったから「山門」と書かずに「門」と書いたのではないか。
鏡石巌が一つしかないという概念をふっとばして考えるとこういう結論に至りました。
歴史研究家ではないのでこれ以上の深追いはしません。結局謎です。

ただし寺の背後に鏡を模したものが三つもあるというのは紛れもない事実。
いつ見ても美しく、不思議な存在で、私たちに当時と同じ雰囲気を味わわせてくれる。
そして時に何かを考えさせてくれる。
「鏡石巌」の正体はまさにそういうものなのではないでしょうか。


ほとんど人が立ち入ってないためか、状態が非常に良く美しさを保っています。
美しいのですが、この場所には問題があります。
危険なのです。
ロープがあるとはいえ、ここに至る道の足場が悪すぎる。
そして藪の中なので夏は危ないです。
見ては欲しいですが、怪我をされては大変なので行くことはおすすめしません。

私は行きましたが、登山靴や木などをしっかりと掴むための手袋といった装備を整えて行きました。
また周辺を調査しているような雰囲気だったので、荒らさないよう注意しました。

前の藪が掃われると見えるようになると思いますが、これに関しては私の力ではどうしようもありません。
いつの日か藪が掃われ見えるようになることを願っています。
案内板の上には間違いなく「鏡石巌」があるのだと思っていただければ幸いです。


今回もご覧いただきありがとうございました。
学芸員の方々からは「知らなかったのかよ」と思われているかもしれませんが、私にとっては衝撃の発見でした。
今年初にして最大の衝撃かもしれません。

行くたびに新たな発見のある福昌寺跡。
まだまだいろんなものが眠っていそうです。
果たして今年は何回足を運ぶことになるでしょうか。


今年一年またこのような感じでやっていきます。
現地の雰囲気を伝える写真と独自の暴論や間違いだらけの予測満載で淡々と紹介していきます。
どうか寛大なお心でご覧いただければと思っております。
よろしくお願いいたします。



鏡石巌


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category: 寺院跡

Posted on 2019/01/04 Fri. 20:09  edit  |  tb: 0   cm: 0