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妙円寺跡の石灯籠 

大変ご無沙汰しております。
ひと月以上ぶりでございます。

妙円寺跡である徳重神社で面白い物を見つけました。


DSC_2046.jpg
徳重神社社殿。

DSC_2031_20180515150304b03.jpg
社殿の前に石灯籠が並んでいます。
それらをよく見ると錚々たる名前が刻まれていました。


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御一門今和泉家八代忠厚
九代忠喬

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今和泉家十代島津啓之助忠剛(篤姫実父)



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御一門重富家三代忠貫
四代忠公

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五代又次郎忠教
後の島津久光です。


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御一門加治木家九代久徳
十代久長


DSC_2043_201805151503032c8.jpg
まだあります。

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御一門垂水家十三代貴典

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豊州家十五代久宝

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大身分四家都城島津二十四代久本


加治木家以外の灯籠が天保七年(1836)十一月二十一日に奉納されたものです。
加治木家は少し遅れた天保八年(1837)の奉納。
この日に何があったのか調べてみました。

その結果明確な理由はわかりませんでした。
しかし三国名勝図会に「天保六年に妙円寺が全焼した」という記述があります。
これから判断するに、おそらくこの日に本堂の落慶法要か、本尊の開眼供養があったと思われます。
妙円寺が島津義弘所縁の寺院であることから、御一門より奉納があったのかもしれません。

島津「啓之助」忠剛は当時三十歳。
この年に長女於一が生まれました。
御存じでしょうが、後の篤姫です。

そして島津「又次郎」忠教は当時十九歳。
この年に千百子と結婚しています。
後に久光と名乗り激動の時代を駆け抜けることになることを、この頃はまだ知らないのでしょう。


そしてこのような灯籠がありました。
DSC_2021.jpg
御造立之節寺社方掛與頭 小田原十左衛門
天保九年十二月二十一日

二年後の天保九年に造立の際の組頭が奉納した灯籠です。
「造立」とあるため本堂であるのか、それとも本尊なのか判断がつきません。
しかしやはり何かを新調したことは間違いなさそうです。

石材や書体から、同じ職人らが造ったようです。
ただし後世に刻まれた可能性もゼロではないでしょう。

面白かったので推理してみましたが、『伊集院町誌』などに答えがあっさりと載っているかもしれません。
確認してみます。


とても面白い妙円寺時代の遺物です。
徳重神社を訪れた際はぜひ見物してみてください。

次回いつ更新できるか分かりません。
「なんか更新されてるぞ」と気づいた時には覗いていってください。
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category: 寺院跡

thread: 史跡・神社・仏閣

janre: 写真

tag: 日置市 
Posted on 2018/05/16 Wed. 20:54  edit  |  tb: 0   cm: 0  

お知らせ 

現在ある計画の準備に追われているため、更新が滞ってしまっております。
計画の内容については後日お知らせできると思います。
それまで過去の撮り貯めをほんの少しずつ載せます。

Instagramでも写真をちょこちょこ載せているので、よろしければご覧ください。




DSC_7870.jpg
厳島神社
国宝

category: お知らせ

thread: 史跡・神社・仏閣

janre: 写真

tag: 廿日市市 
Posted on 2018/02/21 Wed. 23:41  edit  |  tb: 0   cm: 3  

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