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安養院跡 

今回は南さつま市久志にある寶亀山阿弥陀寺安養院跡です。
一乗院末真言宗。
本尊地蔵菩薩。
開山中天竺法幢仙人。
中興開山典位法印。

「法幢」という伝説の僧が宝亀年間(770~781)に日本を訪れ創建した。
宝亀年間に、海から阿弥陀如来を背負った亀が訪れた。
といった言い伝えがあったそうですが、あくまで伝説です。

亀が背負ってきた阿弥陀如来は、近くのお堂に安置されていましたが、廃仏毀釈で失われたようです。


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安養院跡近くの博多浦。
長崎に出島ができるまで、中国の貿易船などが入港していた港でした。

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貿易により栄えていた時代、ここに多くの中国人が生活していたとそうです。
そのためこの場所は「唐人町」と呼ばれていました。

江戸初期には廃れ初め、今ではすっかり寂しい雰囲気です。
足元に敷かれた石畳は新しいもので、当時のものではありません。

この町の一番奥にある淳厚寺。
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ここが安養院跡です。


お寺の前に架かる石橋と、周辺の石垣の一部が当時のものと言われています。
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素敵な風景。

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防風用石垣。
台風の影響が大きいこの辺りではよく見る光景です。
美しさと機能を兼ね備えた構造物。
現代のものよりずっと魅力的です。


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門前の石橋。

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手彫りの橋脚。

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石板も手彫りでしょう。
美しい絶妙な曲線が見事。

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簡素な石橋が、周囲の環境に溶け込み、なんといえない風景を作り出している。
この地を人が訪れる前から、この石橋がここに架かっていたかのようです。
本当に美しい。
ただ、本当の建築年代はわかっていません。

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川が奥へと続いています。
大雨が降るとなかなかの水量になりそうですが、それどもこの石橋は流されていない。
見た目は細くとも、芯が強いようです。


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浄土真宗本願寺派淳厚寺。

入ってすぐ右側に手水鉢があります。
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「奉寄進 林右衛門 宮崎幽勇〇」
寛政二年(1790)造立。
年代がはっきりしている唯一の遺物です。


そしてもう一つ気になるものが。
それが本堂の一部にあります。
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それがこれ。
向拝の木鼻部分がやたらと古いのです。
淳厚寺創建当時のお堂のものの可能性が高いですが、ひょっとすると安養院の遺構かもしれません。


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お寺を出ると、これまた美しい風景が迎えてくれました。



今回もご覧いただきありがとうございます。
以上が安養院跡です。
街は全盛期から大きく変化してしまいましたが、安養院は名は変わったものの、姿はそのままで今も生きています。
この石橋の下に立つと、現在が2020年代であることを少しだけ忘れてしまいます。
一度は見てほしい古寺跡にまつわる風景です。

とある情報によると、「坐禅石」と伝わる石が境内のどこかにあるそうです。
ここは真言宗寺院だったので、なぜ坐禅石があるかわかりませんが、見てみたいですね。



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次回は7月8日(金)12時!

category: 南さつま市

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janre: 写真

tag: 南さつま市 
Posted on 2022/07/05 Tue. 21:35  edit  |  tb: 0   cm: 0  

長寿寺跡 

今回は伊佐市菱刈にある萬松山長寿寺跡です。
正興寺末臨済宗。
本尊釈迦如来。
開山虎岳和尚。

現在は浄土真宗本願寺派の教願寺となっています。
その道路向かいに墓地があり、そこに少ないながら石塔が残ります。


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浄土真宗本願寺派教願寺。
ここに長寿寺がありました。

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道路向かいに墓地があります。
まだまだ現役の墓地。


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階段の途中に何かが見えます。

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いきなり見事な石仏が現れました。
聖観音坐像です。
廃仏による被害はなく、状態よし。

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「海老原〇〇 母」
元文五年(1740)没。

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龍のようなものを表した台座。
元からこの観音像のものかは分かりませんが、造りが見事です。


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観音の後ろに古い墓塔や石仏が寄せてあります。


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地蔵菩薩坐像。
こちらも無傷ですが、風化が酷くのっぺらぼうになっています。
台座の彫り物も凝っています。

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光背のオーバーハング感が素敵。


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こちらは首が刎ねられています。
「海老原源太郎 〇」
延享二年(1745)没。

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古寺跡の世界ではこちらの方がお馴染みかもしれません。


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こちらは詳細不明。


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謎の墓塔です。

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観音像でしょうか。
左隅に戒名のような文字が見えますが、磨滅して判読不能。
宝暦四年(1754)没。

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こちらも観音像です。
これに関しては何もわかりません。

これらのような仏像が大きく彫られた石塔をたまに見ます。
墓塔の場合もあれば石仏の場合もある。
さらには供養塔の場合もあります。
土地によって石塔の解釈と使用法が全く異なるのが興味深い。
この世界の魅力の一つです。


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「海老原」
明治四年(1871)没。
廃仏毀釈後の人々の混乱がよく分かる墓塔です。
戒名は使えないし、神号は普及していない。
「とりあえず名字だけ彫りました」という感じ。

明治四年の墓塔には面白いものが多いので、新たなジャンルとして成り立つかもしれません。


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「〇〇妙香大姉 當門 海老原政右衛門 妻」
弘化四年(1847)没。


さて、気づいた方がいるかもしれませんが、ここに寄せられている石造物は「海老原家」に関するものばかりです。
この地域で「海老原」といえば、一人の人物が浮かんできます。
それが海老原源左衛門。
江戸中期にこの地域で活躍した石工です。
その一族の墓所がここになるのです。
最初に紹介した聖観音坐像も源左衛門作とされています。

これらの墓塔などの中に源左衛門夫妻の墓塔があると、今は無き伊佐市の文化財サイトに書かれていました。
しかし判読可能なものの中にはありません。
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そのため消去法でいくと、この二基が源左衛門夫妻のものと思われます。
優れた作品を残した源左衛門。
しかしお墓はいたって普通です。

自分の存在よりも作品を残す。
まさに職人。
かっこいいですね。

ただ、自分が見つけ切れなかっただけで、墓地のどこかに本物があるかもしれません。


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墓地の頂上には石祠がありました。
中に何かが祀ってあったようですが、現在は郷土館に移されているそうです。

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そして祠の後ろに立つ謎の大きな石。
注連縄が巻かれているので、何かしらの信仰の対象なのでしょう。
地神、山神だと思われますが、詳しいことは不明。



今回もご覧いただきありがとうございました。
海老原源左衛門の墓塔ははっきりしませんでしたが、無傷の石仏が多くある、良い古寺跡でした。
帰宅してからグーグルマップで改めて確認したところ、薮の奥に墓地がもうひと区画あることに気がつきました。
要再訪です。
何か見つかれば追記します。

伊佐市内の海老原源左衛門の作品をコンプリートしたい方は、ぜひここを訪れてみてください。



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Posted on 2022/05/28 Sat. 00:25  edit  |  tb: 0   cm: 0