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宗江院跡 

今回はえびの市大字原田にある月照山宗江院跡です。
長善寺末曹洞宗。
本尊阿弥陀如来・薬師如来・観音。
開山梵芳和尚。

前回紹介した長善寺跡のすぐ近くにある古寺跡です。
長善寺跡からのびる小道を進みます。
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風情ある参道が現れました。
その先に何かが見えます。

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参道脇にある立派な杉。
樹齢400年だそうです。

この先にあるのが宗江院跡の墓塔群なのですが、そこにはとんでもない世界が広がっていました。


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まず正面にあるのがこの墓塔。

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「湖月宗江」
島津義弘の四男、万千代丸です。
天正九年(1588)没。

一つ目の墓塔にしてその異変に気づきます。
おそらく五輪塔なのですが、装飾的すぎるのです。
やりたい放題。
ここまで装飾的な墓塔は入来院氏のもの以来かもしれません。

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細かくて美しい装飾。
これはこれでありです。

万千代丸の墓塔の周囲にもいろいろな墓塔が置かれています。
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まずはこれ。
「元亀二年(1571) 作者頼荘 成等 正覚 〇詢敬白
奉為南林寺殿大中良等庵主
八月吉日」
島津貴久の供養塔です。
上部には金剛界五仏の梵字。
島津氏の当主関係の供養塔でこのようなものはとても珍しい。
なぜここに貴久の供養塔を建てたのかは謎です。


横には謎の墓塔。
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「笑翁浄山居士」
文禄二年(1593)没。

五輪塔でもなく、宝篋印塔でもない。
各部品の寄せ集めでもなさそうです。
説明不能。
ただ、非常に美しい墓塔です。


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見慣れた墓塔もあります。
年代は不明。

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「伊勢貞皎(?)家臣 熊谷祖墓」
このような墓塔もあまり見ることのないものです。


住持墓があります。
DSC_6574.jpg
古い型の無縫塔。
住持名と年代は不明です。

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こちらは自然石。
「利岩文益」
宗江院十五世だそうです。

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「祚室文啓和尚」
こちらは宗江院十四世。
現代でも通用しそうなデザインです。


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宗江院跡で一番注目すべき石造物の列。
もう、お分かりですよね。
この写真から漂う不自然さに。

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不自然さの源がこの二基です。
誰がどう見てもやりすぎ。
建てた人のデザイン欲が溢れ出ている。
ですが素晴らしい自由さです。

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「雪岑玄盛」
永留頼福という人物の墓塔だそうです。
独特のデザインと重厚感。
こちらはまだマシな方です。

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「助邦妙祐」
天文二十三年(1554)没。

変形五輪塔の究極形といっても過言ではない。
尋常じゃない火輪の厚み。
このアンバランスさがたまりません。

明治時代に入ると極端に厚みが増す墓塔がちょこちょこ出てきます。
しかしここではその約300年前の室町時代末期にこのようなものを作っていた。
恐るべきことです。

いつも少し変わった墓塔を見ると
「おー」とか「これは…」
という声を漏らしてしまいます。
ところがこの墓塔を見た時は思わず
「いやー、まいったね」
とはっきりと言ってしまいました。
それほどの衝撃。
石造物好きは必見です。


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こちらも変った形の石造物です。
正面は文字が彫ってありますが、側面は墨書きです。
えびの市史 石塔編』によれば次のようにあります。


(右側面)
須弥南畔大日本関西路日向国真幸院飯野村就干雪岑禅院相当助邦妙祐大姉大祥忌之辰
奉造立所以漸々看読大乗妙典一千部諷誦大施餓鬼

(正面)
阿弥陀仏真金也相好瑞厳
興等倫白毫宛轉
五須弥紺目澄浄四大海

(左側面)
大仏頂万行首楞厳神呪伏願大姉三界輪廻之愁苦真証三明一実〇〇憑
此功徳法界衆生同開種智者也
干時天文二十三年(1554)甲寅十月廿六日孝子敬白


先ほどのアンタッチャブルな墓塔の主に関する供養塔のようです。

これらが建てられたのはこの辺りを北原氏が治めていた時代。
北原氏がなにか関係しているかもしれません。
ただし島津氏が治めるようになってからも独特な墓塔を建てているので何とも言えません。


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もちろんよく見る墓塔たちもいます。
この安心感よ。



以上が宗江院跡です。
えびのには鹿児島とは少し趣の違う墓塔があるのですが、ここだけは別格でした。
今まで見た中で最も装飾的な墓塔は1500年代の入来院氏の墓塔です。
それに匹敵するものたち。
久しぶりにワクワクしました。

地元の方々によって綺麗にされ、気持ちよくお参りできます。
一度は訪れてほしい古寺跡です。

実は近くにもう一か所古寺跡があったのですが、雨のため撤退。
いつか行きます。


これを書きながらふと思ったことがありました。

「1500年代の墓塔はなんだか様子がおかしい」

というわけで次回は1500年代の特徴的な墓塔を並べてみたいと思います。
はたして今回の墓塔を越えるぶっとび墓塔があるのかどうか。
意外と様子がおかしくない可能性もあり。




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次回は7月3日(金)13時から!

category: えびの市

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Posted on 2020/06/30 Tue. 20:58  edit  |  tb: 0   cm: 2  

長善寺跡 

今回はえびの市大字原田にある兜率山長善寺跡です。
総持寺末曹洞宗。
本尊弥勒菩薩坐像。
開山明窓妙光和尚。


大きな寺院でしたが、現在はほぼ全域が宅地となっています。
その中の小さな墓地に歴代住持の墓塔が数基残されています。
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まず目に入るのがこの大きな石祠。
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「寿蔵 長善十五世 法圓明大和尚」
享和三年(1803)寂。

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内部には首が刎ねられた坐像が。

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側面の装飾。
屋根の造りといい、ずいぶんと豪華な墓塔です。
また色が塗られていたような跡も見られます。
それほどに立派な和尚だったのかもしれません。


石祠の横にある地蔵。
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「大休〇威(?)」
文化元年(1804)没。
肉厚で立派です。
いつもなら子供の墓塔と判断するのですが、これに関しては断定できません。


墓地の奥には豪華な住持墓が並ぶ。
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「寿蔵 長善二十八世 無外方和尚」
寛政元年(1789)寂。
独特な型の石祠です。
コンパクトですっきりした姿がいいですね。

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内部には石仏が安置されています。


無傷の石仏が。
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「雲屏洞田大和尚」
寛政七年(1795)寂。
側面に「施主比丘本戒」とあります。
たまらない石仏です。
パッと見るとコックにしか見えません。
長善寺には独特なデザインセンスがあったようです。


無傷のものがもう一体。
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「貞道宝眠大和尚」
寛政元年(1789)寂。
側面には「奉寄進俗弟子相中」とあります。
長善寺二十七世だそうです。

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なんて良い表情何でしょう。
口角の上がり方が過去最大。
溢れ出る地方色に石仏ファンもニッコリです。

ここであることに気づきます。
この宝眠和尚と先ほどの無外和尚。
この二人が同じ年に亡くなっている。
寛政元年にこのお寺で何があったのでしょうか。
謎です。


こちらは首が落ちてしまって、臼杵磨崖仏スタイルになっています。
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「〇心信單大和尚」
寛延元年(1748)寂。
この墓塔には文が刻まれています。


吾師董兜率山長善本寺二十世犀有年干茲奮然抽丹心
重修客殿等而将興清涼与香林廃寺
且常礼賛三千佛読誦法華千餘部及金剛経一蔵餘
以欲立宝塔未果聿順化春秋五十三矣師病治言吾〇曰
余〇則経始技院安置仏塔招合邑緇素諸役以伸供粮便継其志建立一寺
号曰清香造立地蔵尊像於本寺其下埋牧(?)厳師霊骨為永夜燈香飯料
寄附青銅百貫索焉伏願茲山益峻悲海彌深普轉不盡法輪常放無辺光明
更希永此塔不荒是以為識旹寛延改元年星舎戊辰九月初六日
小子比丘智英拝首謹白


以上が刻銘の全文です。
大部分を『えびの市史 石塔編』から引用しました。
しかし石塔編の記録が割といい加減そうなので、要再確認です。

内容はこの石仏が建立された経緯でしょうか。
勉強不足で具体的な内容が完全にはわかりません。


DSC_6520.jpg
石造物の残欠が重ねてあります。
少し変わった型の蓮台が少し気になる。



長善寺の遺物は以上です。
いくつもの末寺をもっていた長善寺も今はこの状態です。
いつもなら当時大きなお寺だった場所にはそれなりに多くの墓塔が残されています。
しかしここにあるのはわずかな住持墓だけ。
近くの民家に仁王像が残されてはいますが、それでも少ないです。

それまでの歴史が長かろうと、失われるときは一瞬。
「無常」というものをより肌で感じることができます。


この長善寺に関して謎があります。
室町時代に長善寺はある本を出版しました。
それが『碧巌録』。
「宗門第一の書」と言われ、日本の禅に多大な影響をあたえた書物です。
特に臨済宗に大きな影響をあたえたそうです。

『碧巌録』は総持寺も出版していますが、長善寺はそれよりも前に出版していたのです。
どうしてこの地で本寺よりも先に出版することができたのか。
そして一体どの層に向けて、どういった目的で出版したのか。
まったくわかりません。


この謎を教えてくれたのはお馴染みの「南薩の田舎暮らし」の窪さん。
窪さんはいつも私に違う世界を見せてくれます。
自分一人では絶対に見ることのなかった風景や世界を見せてくれる人に会うのは、おそらく人生においてほとんどない。
とてもありがたい存在です。

そんな窪さんと新しい活動を始めました。
それが「鹿児島磨崖仏巡礼」。
まーた巡礼です。
やめられないんです。

「鹿児島県内の磨崖仏を巡り、それらに込められた思想などと共に紹介しよう」
と言って始めましたが、
「鹿児島の磨崖仏ってこんなに面白いんだ!」
というのが伝わればいいなと思っています。
ゆるめ。

実は6月13日に中間報告会を行いました。
参加していただいた方々に感謝。
次回は12月を予定しています。
それまでネタ集め。
そして今回の個人的な反省点を改善しておきます。
お楽しみに!

普段は古寺跡と磨崖仏を語り、ラジオでは洋楽をかける。
よくわからないけど面白くなってきました。
私に好き勝手やらせてくれている周囲の方々に本当に感謝です。



さて、すっかり何もなくなってしまった長善寺跡。
実はこのすぐ近くに長善寺と関係のあるとんでもない古寺跡があります。
それはまた次回。


長善寺跡



長善寺



あいらびゅーFM(89.1MHz)に出演中!
次回は6月26日(金)13時から!

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Posted on 2020/06/23 Tue. 20:55  edit  |  tb: 0   cm: 0