昌福寺跡
今回は薩摩川内市にある昌福寺跡です。
大源寺末曹洞宗。
本尊地蔵菩薩。
開山熊岩和尚。
史料によっては「正福寺」とあるそうです。
現在は大部分が畑となり、横の墓地に石塔が残されています。

現役の綺麗な墓地です。
正直、残っているものはあまり多くありません。
まとめて紹介しましょう。

「〇貫禅定門」
正徳四年(1714)没

「涼味禅定尼」
夏にぴったりな戒名です。
しかし不思議なことに亡くなった月日しか彫られていません。
ここに残る唯一の笠塔婆ですが、別の屋根を載せただけかもしれません。


これらはいずれも無銘。
墨書きしてあったような気配がしますが、不明です。

無縫塔も一基だけ残されていますが、埋もれています。
30年前の史料には在りし日の写真が残されており、それによると、
この墓塔の主は「大法師圓寿不生位」で、天保十二年(1841)寂です。
こんな目立つ場所にある住持墓がなぜ埋もれたのか。
この30年間誰も意識していなかったのかもしれません。
古寺跡あるあるです。
さて、ここからがメインディッシュです。
この古寺跡を訪れるとまず目につくものがあります。
それがこちら。

慶安五年(1652)建立。
銘文を見た感じ庚申六地蔵塔のようです。
ここの墓域を整備した時に土中から出てきたそうです。

地蔵は顔だけが削り取られているため、廃仏毀釈の被害に遭ったようです。
この六地蔵塔には他にはない特徴があるのですが、それはまた別の機会に。
六地蔵塔の両サイドに石塔が置かれています。

女性の墓塔なのはわかるのですが、それ以外は判読不能。

無縫塔のものと思われる蓮台に、宝篋印塔の相輪が刺さっています。
どちらも古そうですが、相輪は特に古そうです。
現在残されている石造物たちと時代が明らかに異なります。
まだ土中にいろいろと古いものが埋もれているのかもしれません。

少し奥に六地蔵塔がもう一基ありました。
こちらは六地蔵部分しかないため詳細は不明です。
今回もご覧いただきありがとうございました。
以上が昌福寺跡です。
残されているものは少ないですが、綺麗に維持されている気持ちの良い古寺跡でした。
奥まった場所にあり、駐車場がありません
ただ地元の方が路駐して墓参りにいらっしゃっていたので、小さい車なら大丈夫そうです。
あいらびゅーFM(89.1MHz)にて「たっつぁんのテラバナシ」放送中!
次回は9月29日(金)12時!
大源寺末曹洞宗。
本尊地蔵菩薩。
開山熊岩和尚。
史料によっては「正福寺」とあるそうです。
現在は大部分が畑となり、横の墓地に石塔が残されています。

現役の綺麗な墓地です。
正直、残っているものはあまり多くありません。
まとめて紹介しましょう。

「〇貫禅定門」
正徳四年(1714)没

「涼味禅定尼」
夏にぴったりな戒名です。
しかし不思議なことに亡くなった月日しか彫られていません。
ここに残る唯一の笠塔婆ですが、別の屋根を載せただけかもしれません。


これらはいずれも無銘。
墨書きしてあったような気配がしますが、不明です。

無縫塔も一基だけ残されていますが、埋もれています。
30年前の史料には在りし日の写真が残されており、それによると、
この墓塔の主は「大法師圓寿不生位」で、天保十二年(1841)寂です。
こんな目立つ場所にある住持墓がなぜ埋もれたのか。
この30年間誰も意識していなかったのかもしれません。
古寺跡あるあるです。
さて、ここからがメインディッシュです。
この古寺跡を訪れるとまず目につくものがあります。
それがこちら。

慶安五年(1652)建立。
銘文を見た感じ庚申六地蔵塔のようです。
ここの墓域を整備した時に土中から出てきたそうです。

地蔵は顔だけが削り取られているため、廃仏毀釈の被害に遭ったようです。
この六地蔵塔には他にはない特徴があるのですが、それはまた別の機会に。
六地蔵塔の両サイドに石塔が置かれています。

女性の墓塔なのはわかるのですが、それ以外は判読不能。

無縫塔のものと思われる蓮台に、宝篋印塔の相輪が刺さっています。
どちらも古そうですが、相輪は特に古そうです。
現在残されている石造物たちと時代が明らかに異なります。
まだ土中にいろいろと古いものが埋もれているのかもしれません。

少し奥に六地蔵塔がもう一基ありました。
こちらは六地蔵部分しかないため詳細は不明です。
今回もご覧いただきありがとうございました。
以上が昌福寺跡です。
残されているものは少ないですが、綺麗に維持されている気持ちの良い古寺跡でした。
奥まった場所にあり、駐車場がありません
ただ地元の方が路駐して墓参りにいらっしゃっていたので、小さい車なら大丈夫そうです。
あいらびゅーFM(89.1MHz)にて「たっつぁんのテラバナシ」放送中!
次回は9月29日(金)12時!
興禅寺跡(2)
引き続き興禅寺跡です。
前回紹介したもの以外の貴重な遺物を見ていきましょう。
まずは六地蔵塔。

「奉造立六地蔵塔~
~宗安居士
~(女性の戒名)
各~」
正保三年(1646)建立。
この時代らしい美しい六地蔵塔です。
建立の目的も彫られているのですが、風化により判読不能。

六地蔵部分は損傷が激しい。

片隅に黄色い大きな五輪塔が置かれています。
戒名などは削られ、詳細不明。
地元には「明全の墓」と伝わっているそうです。
『三国名勝図会』にも「お寺の木の元に明全のお墓と伝わるものがある」と書かれていますが、これかは分かりません。
明全に関しては長くなるので省きますが、鎌倉時代に実在した人物です。
五輪塔の形式だけで判断すると明全の墓である可能性は極めて低いですが、再建の可能性もあります。
ただ、発掘調査をしても何も出なかったそうです。
明全の墓塔ではなさそうですが、経済力のある人物のものであるのは間違いありません。

似たような五輪塔がもう一基。
こちらも戒名などが削られているため、詳細不明です。
奥には地蔵がいっぱい。



これらから重要な文化・歴史を読み取ることができますが、それはまたどこかで。

一番奥には井川があります。

機能しているか分かりませんが、まだ水は湧いているようです。
偶然住んでいる方と出会ったので見ることができました。
今回もご覧いただきありがとうございました。
以上が興禅寺跡です。
今見える石塔たちはこれくらいですが、実はこの裏山に埋もれた墓地があり、そこにまだたくさんありそうです。


その一部がこちら。
興味深いものが眠っていそうです。
多くの歴史や文化を知ることができるこの場所ですが、何より目を引くのはこの風景です。

やはり港町の高台にある古寺跡からの風景はレベルが違う。
ここを超える景色はほとんどないでしょう。
一度訪れてみる価値のある古寺跡です。
あいらびゅーFM(89.1MHz)「たっつぁんのテラバナシ」放送中!
次回は7月28日(金)12時!
前回紹介したもの以外の貴重な遺物を見ていきましょう。
まずは六地蔵塔。

「奉造立六地蔵塔~
~宗安居士
~(女性の戒名)
各~」
正保三年(1646)建立。
この時代らしい美しい六地蔵塔です。
建立の目的も彫られているのですが、風化により判読不能。

六地蔵部分は損傷が激しい。

片隅に黄色い大きな五輪塔が置かれています。
戒名などは削られ、詳細不明。
地元には「明全の墓」と伝わっているそうです。
『三国名勝図会』にも「お寺の木の元に明全のお墓と伝わるものがある」と書かれていますが、これかは分かりません。
明全に関しては長くなるので省きますが、鎌倉時代に実在した人物です。
五輪塔の形式だけで判断すると明全の墓である可能性は極めて低いですが、再建の可能性もあります。
ただ、発掘調査をしても何も出なかったそうです。
明全の墓塔ではなさそうですが、経済力のある人物のものであるのは間違いありません。

似たような五輪塔がもう一基。
こちらも戒名などが削られているため、詳細不明です。
奥には地蔵がいっぱい。



これらから重要な文化・歴史を読み取ることができますが、それはまたどこかで。

一番奥には井川があります。

機能しているか分かりませんが、まだ水は湧いているようです。
偶然住んでいる方と出会ったので見ることができました。
今回もご覧いただきありがとうございました。
以上が興禅寺跡です。
今見える石塔たちはこれくらいですが、実はこの裏山に埋もれた墓地があり、そこにまだたくさんありそうです。


その一部がこちら。
興味深いものが眠っていそうです。
多くの歴史や文化を知ることができるこの場所ですが、何より目を引くのはこの風景です。

やはり港町の高台にある古寺跡からの風景はレベルが違う。
ここを超える景色はほとんどないでしょう。
一度訪れてみる価値のある古寺跡です。
あいらびゅーFM(89.1MHz)「たっつぁんのテラバナシ」放送中!
次回は7月28日(金)12時!